ACID LUCIFERZ
02:Rising of the Tiger 2/2

 

『あそこは爆撃していなかったぞ』
『なぜセンサーに反応がなかった』
『御託は良い。目標を何としてでもここで撃破する』
ミサイルの雨を降らせるウムラウト達の間でも、”目標”が出てきたことへの動揺は大きかった。
『あの腕に持った妙な棒は何だ?』
『未知の兵器かも知れない、警戒しろ』
先ほどよりずっと大きく響く掠れた呼吸音の中、ウムラウトのパイロット達は白いマシンに注目した。

ジャガーノートのセンサーは正確だった。
ミサイルを自動的に追尾してその動きをパイロットの脳に直接伝達する。
その情報の中には最適な対処が可能な武装の情報も含まれていたが、
ゼッタはそれを無視していた。

「シールド出さなくて良いのか?盾でもフィールドでも良いから」
「トンファーだけで蹴りを付けます!」
ジャガーノートがグリップを握りしめ、バーを大きく振るった。
前方から来る第一陣が着弾の直前でトンファーに軒並み弾き落とされ、
弾かれた場所で大きく爆発する。
「う、うわ!」
炎に包まれるような錯覚をさせるディスプレイを前に、ゼッタは戦況を把握しようとしていた。
しかし視界を得た次の瞬間には、背後から迫るミサイルがジャガーノートを直撃した。
カラクルのコックピットは、高度なものであれば宇宙でも活動出来るほどの気密性と耐衝撃性を持つ。
特にジャガーノートの床面には慣性制御装置が仕込まれ、
固定用のベルトなしで戦闘を行っても問題ないレベルのコックピットが用意されていたが、それでも耳をつんざくような爆発音と、
後ろから突き飛ばされる衝撃がコックピットを襲った。
ジャガーノートは倒れ込み、そこにさらにミサイルの雨が集中して降りかかる。
コントロールレバーを握りしめてシートからずり落ちないように耐えるゼッタに、マイロが白い目を向けた。
「ミサイル相手にクロスコンバット用の武器じゃ、さすがにカッコは決まらないなあ」
ゼッタは痛い視線を感じながらも、満足に動けないでいた。
ミサイルが直撃した部分の違和感がじんわりと痛みに代わって、自らの身体に染み込んでいく。
ミサイルが直撃すれば人体など一溜まりもないが、カラクルそのものが痛みを変換してゼッタに伝えてくる。
「い、痛い……」
「ダイレクトインターフェイスタイプの操縦は感覚を掴ませるために機体のダメージも伝えてくれる。
今の程度のミサイルならこいつには大した問題じゃない。さあ立て、出来ないなら代われ」
軽快な口調で辛辣なことを言うマイロを恨めしく思ったが、ゼッタは意地を張った。
「いいえ、俺がやります。これぐらい倒せなくちゃ、あいつの仇は……」
仇という違和感のある言葉と共に、ワニ野郎に報いを受けさせる、と言い放ったさっきの自分を思い出した。
村を出る時にはそんなことは微塵も考えていなかった。何がそうさせたのか。
「そうかい、ご立派だな。でも初めてなんだったら、経験のあるお兄さんの言うことをよく聞けよ」
意思を読んだかのように、またマイロが好奇心に満ちた目でゼッタを見る。
「……わかりました」

大地を抉るミサイルが繰り返し直撃したにも関わらず、俯せに横たわるジャガーノートには多少の汚れが付いただけだった。
『堅いは中が弱いな。撃破が命令だが、ミサイルではこれ以上は無理だ』
『昔の戦場では倒れた兵士に剣を刺して死んだか確認していたそうだ。この私がやる』
『好きにしろ』
翼の縁からサーベルを取り出したウムラウトが、先ほどまでミサイルの雨を降らせていた地点まで降下する。
姿勢制御用の重力子ジェットを用いて浮遊しつつ白いカラクルまで近付いたウムラウトは、
地に足を付けると一気にサーベルを振り上げ、胴体に突き立てようとした。

突進する剣先が装甲に触れる刹那、角度を変えたトンファーが刀身を弾き飛ばし、弾き飛んだサーベルは焦げた大地に突き刺さった。
超高周波で対象を鋸のように切り裂く刃先が炭化した土を巻き上げ、一瞬ウムラウトの視界を奪う。
ウムラウトが全周にわたって展開するセンサーにとっては何の問題もない現象だったが、
パイロットの注意がジャガーノートから逸れるためには十分だった。
白いカラクルが地面を殴り付けて弾かれたように飛び起き、振り向きざまにもう片方のトンファーを振り上げる。
『罠!』
パイロットが気付いた頃には、ウムラウトの頭部にトンファーが直撃していた。
力の限り勢い良く振り下ろされた白いカラクルの左腕は一気に機体の胸まで叩き潰す。
センサーの集合体である繊細な頭部は砕け、パイロットの直上まで抉れた胴体を晒すウムラウトを、
ジャガーノートはさらに回転の勢いを付けて蹴り飛ばした。
同時にミサイルが降り注ぎ、慌てて身を翻してその場から逃げ出す。
「これで一機は潰せたな。トンファーで突いてコックピットを刺せばすぐ済んだのに」
「動かさないようにすれば十分です」
ミサイルの効かない装甲でも、分子間結合を強制的に切り離す近接戦闘用の武器であればあっさり切り裂かれる。
あとは相手パイロットの油断に委ねるしかなかった戦術ではあるが、マイロの踏んだとおり、警戒心の薄いパイロットであったようだ。
「あとは残りがどう反応するかでこっちの武器も変える必要があるな。でも見直したよ」
「何をですか?」
「君のセンス。単にカラクル同士の戦い方を知らないだけで、初めてにしては上々。さっき地下で君を殺さないで良かったよ」
「……」
真後ろのコヨーテが物騒なことを言った気がしたが、聞き返す余裕もなく流すことにした。
ミサイルから逃げ回るうちに、両サイドから一気に残りの二機が迫ってきたからだ。
右からは両腕のミサイルポッドを捨てサーベルを構えた機体、左からはミサイルを持ちつつ、もう片腕にはサーベルを持った、ツノの長い隊長機。
「堅い相手にはクロスコンバットか。ゼッタ君、何かよく切れそうな武器を選択、右手に装備、左手のトンファーはその辺へ捨てておけ」
「了解!」
右手に持っていたトンファーをくるっと半回転させて持ち直し、鎌のような形態で、右側のウムラウトに力一杯投げ付ける。
パイロットの本能か自動制御か、身を守るように前に出た左腕を直撃し、肘関節ごと弾き飛ばした。
その隙に左の袖から突き出た柄を握りしめ、大きく肩を振って一気に刀身を引き抜く。
それはウムラウトの持っているような黒光りした両刃ではなく、白く輝く日本刀だった。
「ああいう風に投げても使えるもんなのか。面白い武器だなあアレ」
「ジャグが教えてくれましたからね」
「ジャグ?」
「ジャガーノートだと言いにくいでしょう、こういう時!」
略したことぐらい察しろと言いたげな言葉と同時に、袖から抜いた勢いで刀を上に構えて一気に振り下ろす。
高い金属音とともに、刀が一気にウムラウトの目の前を通り過ぎた。
ウムラウトのサーベルと同じように高周波振動で切断するようだったが、
腕を含めた胸の右側が滑るように落ちたのを見て、
ゼッタもウムラウトのパイロットも、その切れ味に舌を巻いた。
赤熱した装甲の切り口に囲まれるように、パイロットの姿が露わになる。
文明時代の象徴である宇宙用機密服を洗練させたような、それでもなお不格好なユニフォームを着た人物が、
座ったままこちらを見て硬直している。ヘルメットで表情は見えない。
「そこのお前!」
ゼッタは巨大な刀が真横を通り過ぎて動けなくなったパイロットを捕まえようとしたが、
後ろからの警報でとっさにジャガーノートをジャンプさせ、体勢を翻した。
すぐ下をミサイルが通り過ぎ、半壊したウムラウトに直撃する。
硬直したパイロットは爆炎の中に消えた。
「同僚を殺してでも奪い取りたいぐらいお前に夢中らしいよ、あいつ」
「今の俺の攻撃で死んだと思ったのかも知れません……」
ゼッタは自分に向かって真っ直ぐに突き立てられる殺意に目眩を感じていた。
冗談か本気かわからない言葉ばかり出てくるマイロへの苛立ちがさらにそれを際立たせる。
獣のように手足を使って着地したジャガーノートと、ミサイルをまだ持っているらしいウムラウトが対峙する。
「ゼッタ君、ここは……」
「俺の好きに戦わせて下さい。トンファーで駄目なら、最適な武器を考えるまでです」
「……まあ、お好きに」
邪魔をするなと言わんばかりの冷たい声に、マイロは少し寂しくなった。

一方ウムラウトのパイロットも身体を震わせ、相手の出方を伺っていた。
地盤破壊用のミサイルが効かない、接近戦でも勝ち目がない。
ただの警棒でウムラウトを胸ごと叩き潰し、
剣を取ればパイロットごと機体を真っ二つにするような「目標」とは聞いていない。
たった30秒でイークオーダ隊の他の機体は大破し、その目ははっきりと自分を見据えている。
通信のアイコンが突然ディスプレイに表示されたのを見てパイロットは必要以上に驚愕したが、恐る恐るスイッチを入れた。
『やあ、イークオーダ君。そろそろ仕事が済んだと思うんだけど、どうだった?』
その声にイークオーダと呼ばれたウムラウトのパイロットは少し安堵したが、震える声で戦況を伝えた。
「現在地下から現れた目標と交戦中です。他の2体は撃破されました」

ヨーロッパ地方。
文明消失のダメージは少なく、社会・技術の復興は他に比べ格段に進んでいる。
しかしその最盛期には遠く及ばず、
HFA-Human Form Automatonの建造と運用は可能であるものの、
他の大陸へ移動する手段すら”公式には”確立出来ていない。
行政システムは民間企業によって行われ、効率性を重視した運営によって治安は優れている。
行政の中央を担う企業、いわば政府そのものであるダイアクリティカル・システムズは、かつてロンドンと呼ばれた地域に存在していた。

そのロンドンにあるガラスのような透明金属で覆われたビルの高層階で、
濃紺のスーツを着た黒猫のラミナはモニタに話し掛けていた。
「へえ、そりゃ凄い」
『彼我戦力差は決定的です。ロケーションパスの使用の許可を……』
「却下。そのHFAは白くて黒い模様の入った奴だろう?君のウムラウトからデータを送信させているよ。
間違いなく我々の言う目標だけど、今潰しておかなければ……」
データにあるジャガーノートの画像を拡大し、黒猫は首を傾げて言葉を続けた。
「大量の犠牲が出る」
「……死ぬ覚悟で戦えということですか?」
「そういうこと。この国と、君の家族のためにも」
通信システム上のタイムラグか、イークオーダの沈黙か、数秒の間が開く。
「了解しました……」
「それならよろしい。本当なら援軍を送りたいが、手持ちのパスがなくてね。健闘を祈るよ」
黒猫が一方的に通信をシャットダウンした。
「負けの決まっている偵察部隊に、通信衛星のエネルギーの無駄遣いだったかな。
さて、リワインダがようやく姿を現してくれたよ。待ちくたびれた」
「排除オペレーションを実行に移しますか?」
後ろにいた豹のラミナの秘書が黒猫に話し掛ける。
黒猫の小柄で落ち着いた毛艶とは対照的に、華やかで身長が高い。
「そうだねえ。でも一眠りしてからかな。あの方に伝えるのもそれからだ」
黒猫のラミナは気怠そうに欠伸をして、部屋を後にした。
部屋に残る秘書がその背中に声を掛ける。
「お休みなさい、イクトミ様」

数分に及ぶ睨み合いの末、ジャガーノートが先に動いた。
右手の刀、左手のトンファーを捨て、咄嗟に後ろへジャンプする。
白い装甲とその上にラインを描く黒い筋の隙間から紫の光が漏れ、
重力子放射を使った姿勢制御と、機動性の増強が行われていることを伺わせる。
一気に間合いを取るジャガーノートに対してウムラウトからミサイルが放たれるが、着弾時には左腕に展開された盾が機体を守っていた。
小さな板を整列させたような円形のシールドだが、フィールドを展開して非接触的にミサイルを受け止めているようだった。
何もない空間に当たって弾けるミサイルの隙間から、右手に展開したマシンガンを放つ。
撃ち出された後に形状を変え、弾頭への接触率を高くする対ミサイル用の特殊弾丸が目標にぶつかり、誘爆を起こす。
ミサイルの爆発の炎と煙はウムラウトの視界を遮り、ジャガーノートが隙を見てフリスビーのように投げた盾がミサイルポッドに直撃するのを防ぐことが出来なかった。
ポッド内のミサイルが一気に押し潰されて炸裂し、左腕ごとポッドを吹き飛ばす。
ジャガーノートが一気に距離を詰め、捨てて地面に突き立った刀を引き抜き、両腕で構えた。
その切っ先はコックピットに狙いを定めていたが、突きを入れた瞬間にウムラウトは形を変え、不格好な戦闘機となって、
ジャガーノートの胴体に突進してくる。
飛行機状態ながら腕はそのままジャガーノートの胴体を掴み、推進器をフル稼働させる。
「こいつ!」
敵機の予想外の動きに、神経を研ぎ澄ませ黙り込んでいたゼッタが声を上げた。
「フィールドなりスラスタなり使って押し切られないようにしろ。高空から叩き落とされてはさすがに厳しい」
マイロの声に応えるように、ウムラウトを掴み返すジャガーノートの背面から紫色の光が漏れる。
飛行が出来るほどの推力はないが、多少の力押しなら不可能ではない。
推力のベクトルを別方向に押しやって難を逃れようとゼッタは考えていたが、
徐々に落ち着いてきた勢いと引き換えにウムラウトの推進器が徐々に赤味を帯びてきたのを見て、その余裕はないと感じた。
サーモセンサーの示す異常な温度を見て確信したゼッタは、ジャガーノートの右腕に盾を展開させ、ウムラウトを横から全力で殴り付けた。
拘束していた腕が離れたウムラウトは大きくバランスを崩して大地を転げ回ったものの、
ゆっくりと人型に戻り起き上がったそれは、全身を仄かに紅色に染め、ゆっくりと両腕を上げて、ジャガーノートに迫ってくる。
推進器から放射されるはずのエネルギーを強制的に内部に向けて閉じ込め、
その上でジェネレータをオーバーロードさせているとジャガーノートのセンサーは判断したが、その頃にはウムラウトが閃光に包まれていた。
高速度機動が前提のカラクルは、人為的に高エネルギーを充填した燃料物質が機体のあらゆる場所に封入されている。
燃料物質が解放したエネルギーはジャガーノートを丸々呑み込み、周辺を白い光で包み込んだ。
高エネルギーの熱線と爆風に包まれたジャガーノートは、
自動的にゼッタへのフィードバックをカットし、手に持っていた盾を使って、防護フィールドを全身に展開する。
フィールドは爆風を逃すために爆心に対して三角錐を形成し、
さらには吹き飛ばされないために機体の後ろに”支え”を用意するまでの手の込んだものであったが、ゼッタには知る由もなかった。
白い光と衝撃がコックピットに押し寄せていたが、十数秒後には収まった。
「無事……だよな?盾を持ってて良かった」
さすがに肝が冷えた様子のコヨーテの声で目を開けてモニタを確認すると、ジャガーノートは何とか五体満足でその場に立っていた。
ただし数十のアラートメッセージがディスプレイに浮かび上がり、視界を邪魔している。
ゼッタは大きく息を吐き、震える手をコントロールグリップに置いた。
「さすがに今の衝撃波でガタが来た部分が多い。他に敵がいないとは限らないから、とっととこの場から逃げた方が良いな」
「でも、俺が乗ってきたバイクが……」
「白いバイクならオオカミ連中が嬉々として分解してたよ。諦めよう」
ゼッタのがっかりした感情を反映するかのように、ジャガーノートは肩を落として、ガラスへ変質した大地をとぼとぼと歩みを進めた。

そこから数百メートル。
「くそっ、あと少しで即死だった」
舌打ちと共に、胸までトンファーで潰されたウムラウトからパイロットが降りてきた。
衝撃で口の中を切ったのか、ヘルメットを脱いで口元の血を拭う彼の名は、リガチェフ・デザイア。
「私の純白の毛皮を赤い血で染めてしまうなど不届き千万……隊は全滅、ウムラウトは大破。ロケーションパスを使うのに許可などいるものか」
リガチェフは胸元から一枚のカードを取り出し、両手でその縁を持った。
「貴様」
振り返る間もなく首根っこが後ろから手を回されて掴まれ、勢い良く向きを変えられると同時に、足が浮き立つほどに押し上げられる。
「ぎゅう」
粗野な風貌のハスキーのラミナが眼前に見え、リガチェフの息が詰まる。
「聞きたいことが山ほどある。お前はどこから来た。どこでそのカラクルを手に入れた。そのカードは何だ」
「カ…カラクル……?」
どうにか息を吐き出して声は出たものの、次にリガチェフの視界に見えたのは、ハスキーの後ろに群がる、危ない目をした黒いオオカミ達だった。
「宴のトリが見つかったってよ」
「ダディ、消火剤を落とさないと食えないよ」
「揚げなくても生でも良いや、もう」
「尻尾って珍味なんだろ?俺まだ食ったことない」
自分に向けて食欲を瞳に映し出した異常な同族達と、今にも殴ってきそうなハスキーを前に、高貴な育ちのリガチェフは失禁した。

夕陽が地平線に沈み始めた頃合いに、ジャガーノートは近くの集落の防護壁に座り込み、ゼッタとマイロを見下ろすようにうなだれていた。
「恐らく敵はもう来ないな。さっきのはただの偵察部隊だったみたいだ」
「何の偵察に……それより、俺を殺さなくて良かったっていうのは何だったんですか?」
「君がジャガーノートと名前を付けたこいつを、誰にも知られないようにさ。良い名前をもらったな、お前」
コヨーテが懐かしげな顔で白い巨人の顔を見上げる。
「まあ、俺はあそこの番人みたいなもんだよ。定期的にチェックをして保存状態を確認するだけ。
ちょうど今回チェックのタイミングで、ジャミングもなしにこいつが起動したせいで、ユーロの連中に感知されてしまった。
何で勝手に起動したか知らないけど、俺がちょうど確認のためにいたことがラッキーだったな。
勝手にあそこを根城にしてたオオカミに捕まったけど」
「……ユーロ?」
「昔ユーロと呼ばれていた地域だよ。こいつは昔ちょっとやんちゃをしたカラクルでね、今でも潰しておきたいと思ってる連中がいる。一度存在が知られた以上はまた狙ってくるだろうし、俺はそういうのとこれから相手をしなくちゃいけない」
マイロは胸元から懐中時計を取り出す。
シルエットこそ丸い高級なそれのように見えたが、文字盤を保護するカバーには、雪の結晶のような装飾が入っている。
その時計に付いたスイッチらしきものを押してジャガーノートにかざすと、先ほどまで激戦を繰り広げていた白い機体が光に包まれ、姿を消した。
「こんなでっかいの持ち歩いてちゃ、色々大変なんでね」
唖然とするゼッタをよそに、軽妙な口調でマイロは呟いた。
「君はカラクルを操るセンスがある。どこかでそういう職にありつけるさ」
「このカラクルは誰のものなんですか?」
「……俺のではない」
微妙な言い回しをするマイロに不穏なものを感じたが、ゼッタは思い切って無茶な相談に踏み込んでみることにした。
脳裏に黒と白の装甲板を纏った威圧的なカラクルがフラッシュバックし、ゼッタを後押しする。
ゼッタからレイチェルと故郷を奪い、笑いながら消えていった粗暴なカラクル。
「俺が使っちゃ駄目ですか?」
「……ああ、ワニを倒したいんだっけ。ただの敵討ちに使うのは感心しないなあ。それにこいつを使う以上、
ユーロの連中は君を狙ってくるよ。さっきの三下みたいな連中じゃなく、ジャガーノートを倒すためにわざわざ来るんだ。
そいつらの相手まで引き受けてくれる覚悟が?」
ウムラウトの猛攻を三下と言い切るマイロを前にゼッタは少し萎縮したが、ゼッタも負けじと意地を張る。
「あります」
「嘘だね。君は感情に任せて力を欲しがっているだけだ。ジャガーノートがただの強いカラクルだと思うな」
にやついた顔でマイロが立て続けに喋る。
「……とは言ったけど、俺、君みたいに向こう見ずな奴は嫌いじゃなくてね。
最悪の現状から必死にもがきながら立ち上がろうとするその目が、俺をわくわくさせてくれる」
投げられた時計を受け取ったゼッタは、マイロが真剣な目でこちらを見ていることに気が付く。
「ユキヒョウにこの時計をやるなんて、洒落た真似だと思うよ。良いかいゼッタ君。
そいつは君の人生を狂わせるに十分な力がある。良いようにも悪いようにも。どっちに行くかは君がそれを使って何をするか次第だ。
ジャガーノートにはあらかじめ用意された固定武装はない。スリーブからは武器以外にも取り出せるものがある。
君が俺にぶっかけてくれた消火剤のようにな」
「武器はあの袖だけってことですか?」
「袖そのものは武器じゃなくて、ただの道具さ。ジャガーノートは強いが戦闘用じゃない。それだけは頭に入れておいてくれ」
「……わかりました」
強力だが得体の知れないカラクルだとゼッタは感じていた。
マイロの説明がさらに拍車を掛けたことは事実だったが、
敵を払い除け、ジャガーノートを手に入れたひとまずの安心感から疲れが一気に心身にのし掛かり、
止めどのない考えに走るのはやめようと考えるのを諦めた。
「というわけで、ジャガーノートは君の物だ。大事にしてくれ」
マイロが手から時計を奪い取り、ゼッタの首に掛けた。
「うん、似合ってる。ちょっと出来すぎなきらいがあるが」
「うるさいですよ」
「とりあえず今日はうまい飯と酒で、あの臭い油と消火剤の臭いを消したいな」
「まだ根に持ってるんですね……消火剤のこと。すいませんでした」
日も沈み薄闇が黒くなりつつある中、二人は集落の出入り口へと歩みを進めた。

続く

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